水俣病70年企画『水俣 患者さんとその世界 完全版』

 

水俣病は1956年5月1日の公式確認から今年で70年。

大企業も、政府も、地元の人すらも立ちはだかる中で、水俣病患者らの孤独な闘いはやがて大きなうねりを上げていく。

映画自体が約1万5000人の水俣病申請者の発現に繋がったことも含め、運動の歩み出しとしての記念碑的一作。

 

 

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水俣病。
今から70年前(1956年当時)、奇病といわれ、伝染病か中毒かもわからなかった。
不知火海に36年間にわたり、チッソが流してきた有機水銀が水俣病の原因と公式発表されるまでに13年を要した。
その間、チッソはまったく研究に協力しないばかりか、さまざまな原因説を発表あるいは支持し、原因究明をひきのばした。
公式発表後も依然として責任を認めなかった。
患者とその肉親たちは自らをむち打って裁判に、デモに立ち上がらざるをえなかった。

広がる支援の輪

この映画は1969年、チッソを相手に裁判を起こした29世帯を中心に、潜在患者の発掘の過程を描いている。
カメラは鹿児島県出水市の夫婦船の描写から始まる。
肉親の記憶にのみ残された事実から水俣病患者の実態が明らかにされる。
しかし、水俣は“チッソ城下町”。
患者さんは孤立を強いられる。
厚生省への救済申立も一喝される。
裁判を契機に熊本県にようやく発した告発運動が全国に支援の輪をひろげていく。
患者自身による裁判闘争へのカンパ活動、訴え、一株運動、そして大阪でのチッソ株主総会での患者と社長の対話へと運動はもりあがる。

水俣病に取り組む第一歩

さいごにカメラは胎児性患者に向けられる。
病院には半ば見捨てられるが、家族に見守られ、輝くばかりの人間の営みがフィルムにとどめられている。
この映画の撮影当時、患者総数121人でしかなかったが、撮影の結果、約1万5000人の申請者の発現につながった。
この映画が運動の歩み出しとしての記録になっている。
また、監督土本典昭にとって、水俣病への本格的取り組みの第一歩となった作品でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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